華の金曜日。
昨日は29回目の華金だった。
あれは、もう7年前か6年前か。
サオマイという難波の箱で行われてたのが最初。
蘭ちゃんがオーガナイザーで、なぜか2フロアあったの覚えている。
あの頃の俺は、「現場」が嫌いで「サイファー」が大好きだった。
嘘、今もか。ましになったと認めつつ、根底には今もあるな。
酒飲んで、わーって騒いで、ガンジャ吸って、わーって騒いで。
TBHや降神やShing02が流行った後で、良く分からないものを深いって言う人が多くいたり。
ステレオタイプのHIPHOPを盲信的に信じる人も多かったんだよ。今よりももっと。
なんせ狭いコミュニティで自分たちを「やばい」って形容する様が滑稽で大嫌いだった。
いや、その中でもほんとにいかしてるMCやDJはいた事はいた、少なかったけど。
でも、周りがLiveするなら、ぼちぼち行ってた。
仲間の晴れ舞台は見たかったし、仲間の曲は聞きたかったから。
あともう一つはDJタイムが好きだった。その時は、今ほど日本語がかからなかった。
むしろ、日本語をかけるのはタブー視されたし、「日本語ってだっせー」って言うやつも多かった。
でも、俺は日本語しか分からないし、何言ってるか分からないやつに踊らされるのは嫌だったから、日本語がかかれば走ってフロアにいって、1人でも遊んだ。
その数少ない日本語の曲を望んで通ってた。
華金は、ずっと古武道さんが出てたから、ほとんどの回に遊びに行ってたはず。
そして古武道さんがオーガナイザーにかかわるようになって、自分もライブに呼ばれるようになった。
最初の頃は、良く覚えてないけど「ライブするの嫌やな」と思って気がする。
俺がラップしだしたのは、そして今もしているのは「分かってもらいたい」から。
地位とか名誉とか金とか、二の次。それが貰えるなら貰うけど。
「何を分かってもらいたいの?」って聞かれると、多種多様すぎて長くなるから、また今度。
ライブに呼ばれだしたころの俺は「分かってもらいたい」と「どうせ分からへんやろ」の間で揺れてた。
でも、滑稽なのは分からす力がないのを棚にあげてたこと。若いMCはどこかで、盲信だから。
Same Shit Different Dayの中でも歌ったけど、「つなぎとめてくれたのは古武道と華金」ってのは間違いなくて。
ライブがあるから、新曲を書いたし、その新曲を作る中でKZ and doikenのプロジェクトも始まったし。
Rやコペローは別かなとも考えるけど、今の梅田が、サイファーというコミュニティが普通に曲作りの機能を包括しだしたのは、「Plain」が大きいはず。
少なくとも自分はそう。
【MV】Same Shit Different Day ( prod bv ONGR ) / KZ
ほんとは、もっと劇的な夜や話したい夜はある。ほんとにたくさんある。
神門さんやチプさんがWARAJIがBASIさんがゲストで来た時、Rがレギュラーだったころ、たまこぅのタイツでのライブや、かさましバーガーや、ふぁんくのちょけきったライブや、ちょっと考えれば笑いこげたり目頭が熱くなったりする夜が多くある。
またそれは、曲か何かで。
なんで、こんなことをわざわざ書いたかと言うと。
昨日は帰ってきて初めての華金だったんだよ。規模や大小はどうでもいい。俺にとっては重要な夜だったから。
年収550万捨てて、キャリア捨てて、結婚して1年目なのに無職になって、大阪に戻ってくる意味って何か。
グランフロントのオフィスで、面接官のババアに首かしげさしても、そうした意味って何か。
東京のフォロアー稼ぎに躍起になってる若いMCに、東京にいた方がチャンスあるじゃないすかって言われても、大阪に戻ってくる意味って何か。
履歴書や8小節2本のBattleでは言えないことだから。
曲ではいたるところに散りばめてる。でも、曲間の隙間を埋めて「ちゃんと分かってもらいたい」から書いた。
数年後、俺や俺の近くのMCが似た事で悩むかもしれない。
世間的に正しいチョイスが、幸せなわけじゃないから。そん時に俺のチョイスが少しでも力になればいいとも思う。
そして、今回これなかったお客さん、同業者は次は遊ぼう。遊びたい。
昨日の夜は、4年か3年前に門真でしてたサイファーにきてたMCとも会えて今でもマイク握ってるって聞けたし、久々にEATMICの2人とも会えた。
若い頃ほど、時間に余裕はなくなったけど1月か2月に1回、睡眠時間を削って遊ばないと、もう会える時間ってほんとに短い。
次は8/5だから、そのころには何かリリースして、手元に届けれたらとも思っているから。
また、STOMPでね。ぴーす。