「クルーじゃないけど、俺らが最強」
年末 12/30 に、久々に梅田サイファーでライブをした。
すごくいい夜だったと思う。
来てくれた人ともう一度、夜を分かち合うために。
来れなかった人に、悔しいと思わせるために。
少しだけ、あの夜についての文章を。
始まりは月曜の深夜
スポット的に noon のスケジュールが空き、 peko やんにイベントの話が転がり込んできた。
梅田サイファーで 50 分ライブをしないかというオファーがきた。
犬が散歩紐をみたように、二つ返事で OK だった。
アマチュア、年末、 2 nd のリリース後、色んな条件が重なった場面だった。
「この条件で最高に楽しく遊びたい」って、ドイケンがセットリストから出演交渉に頑張ってくれた。
いろいろな思いや事情があって、来れなかったメンバーもいた。
でも、それはいつものサイファーも同じで毎週、毎週同じメンバーが揃わないのと同じ。
逆もしかり、何も言わずに、飛んできたやつもいたし。
あの日に久々に会う奴もいたし、毎週会ってる奴もいた。
当日、少し遅めに到着したらドイケンの髪色が茶髪になっていた。
話を聞くと、晴れ舞台のために 1 日でとれる染め粉をふってきてたとのこと。
それをたまこぅと R がそれをイジってて、腹抱えて笑った。
「あいかわらず」が「あいかわらず」でいれることは、幸せだなんだな。
そう、心底思った。
スタジオなどは入ってなかったけど、この 1 年ライブをしてきたメンツが多く、
バックが HAMAYA だったのでわりかし上手くリハも終わった。
Open してみると、大阪のシーンの若い子たちが来てくれたり、年末のタイミングで帰ってきてた懐かしい顔がいたり、
アマチュアナイトのメンツとも会えて、すごく嬉しい出会いが多かった。
その日は、 Japi のライブが良かった。目頭が熱くなった。
東京と大阪の距離があって、たまってたフラストレーションをぶちまけるように、 5 人がライブしてた。
TTB じゃない俺は、 Japi とは少し距離を置いて彼らを見てた。
Japi と仲がいいというよりは、各個人と仲がよく、その各個人の思いを知っているので、余計にこみ上げるもんがあった。
俺のビートに再度、息を吹き込んでくれてありがとう。
今じゃパンパンのフロア 身内だらけ
さぁ、いざ、我らが梅田サイファー。
コペルが呼び込み、「 THIS IS CLASSIC 」が流れ出す。
楽屋から見ながら R と、「このメンツが一発目に出てくると誰も思ってなかったやろうな。これが梅田サイファーじゃ」
ってゲラゲラ笑いながら見てた。
上から見てても、フロアの爆発力はすごかった。愛されてるよ、俺たち。
次は俺と tella の「I'M ON MY WAY HOME」。
俺はこの曲に思い入れがあって。
tella と 2 人で EP を切ったあとに、アマチュアが呼んでくれた。
確か、日曜のデイイベントだった。
その日、 Open 直後、(途中まで俺は peko やんの DJ と思ってたんだけど)ドイケンが「空っぽの街角」をかけた。
ど頭の「日曜日の夜は空っぽの街角」って歌詞にやられた。
tella と帰ったら、この日のことを、こいつをサンプリングしたビートで作ろうと決めた。
今回のイベントで、ドイケンにコーラの出番をオーダーした。コーラは不遇だ。
結構、昔からいるのに、ここぞって時にいなかったりする。
昔は、「ガチャピンに似てるのに面白くないやつ」と思ってたけど、今じゃ一周回って面白い瞬間がある。
曲は「clip」で、コーラとたまこぅが蹴った。ビートもコーラで、この日やった曲の中では一番新しい梅田の曲だ。
そして、「コンビニのジョン」。
大盛り上がりで、この曲の底力をみた。
また、 R が落ち着いたら、メキシコに帰ったというジョンの続きを 3 人で書きたい。
ちなみに、「コンビニのジョン」という言葉は KZdoi の Plain の intro を製作中に、
ドイケンが「コンビネーション」でライムを考えてたら、 dio j さんが「コンビニのジョン」と言ったところが始まり。
さすが、名プロデューサー。
俺らには俺らのスラングある。
それは、「言語」としてのスラングもあれば、「間」のスラングもあし、「人格」のスラングも。
この MC は、そのスラングの一つだ。
このスラングを、ドイケンがある日から、色んな人に説明をしだした。
啓蒙のおかげもあって、この日もガガは愛されていた。
本人も足りないって言うし、皆も足りないって言う。
でも、その足りない人間が満ち足りた瞬間を生むんだから、ほんとにラップは素敵だ。
あとは、またラップする時間を手に入れて昔のように、ラップしてもらいたいもんだぜ。
「誰だ誰だ」って聞かずも、ガガだ。たまこぅとガガが客席に飛び込んだのも面白かった。
お次は、またコーラ。
「四月病」って曲がある。正直、変な組み合わせのマイクリレーだ。
コーラとガガとテーク。何とも言えない組み合わせなんだけど、俺はこの曲が大好き。
ビートもいかしてるし、各人のリリックが絶妙なバランスを保っている。
曲の始まりで、観客も俺らも置き去りにし気が狂ったように自分を叱責するコーラ。
それを後ろから見てる、コペルが腹抱えて笑ってて、いい光景だなー。と、俺は見てた。
当然、梅田のライブなので 1 st からも何曲かやった。
その内の一曲が「eat u up」。この段階から、テークが泥酔になっていて、愛くるしかった。
ドイケンにしろ、コペローにしろ、(酔ってなければ)テークにしろ、
3 人のラップのフィジカルの強さには俺も憧れる。
周りにかっこいいラッパーが多いのは幸せだ。
この曲の終わり際に、一瞬わちゃってなって、空気が濁ったんだけど。
それを古武道さんがうまく、切り替えた。
古武道さんは、ずっとソロ MC 。
正確には、 ROM とテークとのユニットがあったけど、ほとんどのキャリアがソロ。
なので、ほんとにライブがうまい。
自虐的に話すこともあるけど、 3 年も同じセットで戦うんだからすごい。
過去も今も未来も、「胃袋でパーティー」は大阪のフロアアンセムだ。
見ての通り、大阪の若い MC たちからの人望が厚い。古武道さんが出てきただけで、みんなの目がかわる。
心底、このおっさんは愛されてる。
お次はラードと R だ。「untitled」。梅田は基本的に、はぐれものの集まりなので 1 人で来る MC が多い。
でも、ラードと R は友達だった。最初から。
多分、 2 人の中では 2 人でライブすることの意味は、すごく大きいのだと思う。
幸せそうにしてて、この上ない気持ちになった。かぶせやガヤを丁寧にお互いが入れてて、いいなと思った。
2 人だけの曲って他にあるのかな。俺の記憶にはない。そのビートを俺が出来たのは、光栄だ。
お次は俺と、たまこぅで KZdoi から「手紙」。
この曲は、最初にたまこぅと俺が作った曲で、その時はまだdoikenのバースはなかった。
確か、 DFBR も改装中で dio j さんのプライベートルームで録音した曲なはず。
手前味噌だけど、良い歌詞だなと思う。この頃から、自分の中の「音楽」が明確になっていた。
Ebisuくんが上がってるのが見えて嬉しかった。サンキュー。
ここから、一気にエモーショナルな空気に。
tella と鉄兵が「25」を蹴る。 1 st も 2 nd もほとんど、ラブソングはない。
たぶん、「25」が唯一。この曲の Hook はテークがメロディーを考えた。
それを tella 歌ったはずだ。そして、鉄兵のウィスパーなラップ。
文句なしにフロアがエモーショナルになっていた。
tella がそのまま残り、 2 ndから「煙が目にしみる」を。
俺は、ブースの付近で 2 人のタイトなラップと、このビートの強度を味わっていた。
煙草を辞めて、後悔することはほとんどないけど、歌詞を書く時に吸っていれば良かったと思うことがある。
2 つの意味で「筆を進めるために」。
少し MC を挟んで、いよいよ。大詰めに。
へべれけになったテークと、かたわのMCガガの 2 人が「ill trimming」をキックする。
ある時テークが「一時期、飲む相手がガガしかいなかった」ってぼやいてたのを、ふと思い出した。
あと、テークが最近の曲で海外に行ったガガを思わせるフレーズがよぎった。
この交わらなさそうな2人が交わるのが、サイファーのいいとこだよな。
そして、いよいよ「分岐点」。
まー、俺もお前も、ふぁんくとタウさんがいたらと思ったはず。そうだよな。
確か、フルメンバーの分岐点は 1 度しかなくて、あのエゴトビアの時だけじゃないかな。
怖いけど、多分もう揃わないような気もする。それでも、この曲は-たとえ 1 人で歌っても-エモーショナルなんだよ。
ある人がいう通り青春群像劇の、ど真ん中に位置する曲だから。
その空気のままラストの「始まりのストーリー」へ。
あんなに幸せなフロアは、あの時のエゴトピア以外になかった。
ありがとう。今思い出しても、胸が甘くなる。
後日談だけど、 R がメッセージで「クルーじゃないけど、俺らが最強」って言ってた。
別に何にもならないけど、また俺はじっとサイファーを続けようと誓った。
次の集まれる夜には、今より多くの大好きな奴らと一緒にラップ出来るように。
まだ 10 年。ここから、もう 10 年。
全然、間に合うよ。良かったら一緒にラップしようぜ。ぴーす。