決意 -後編- Written by KBD
3章「stand up Umeda」
かくして、梅田サイファー 3枚目のアルバム制作が始まった。
ミーティングの結果、アルバムのコンセプトとして「アグレッシブさ」「外を向く」。
この二つを意識することになった。
振り返って見れば作品を作る動機として1枚目の「See Ya At The Footbridge」は中心人物であるKZが横浜に引っ越すタイミングで、メンバーの多くに分岐点が訪れており、離れてしまう前にみんなで作品として形にしたいというものだったし、
2枚目の「UCDFBR sampler Vol.2」は再会したメンバーたちが、DFBRで再び共に音楽ができる喜びを詰め込んだ作品で、どちらも程度の差はあれ、スタンスとして自分たちが楽しめること、おもしろいと思うことに重点がおかれており、今回のように外に向かって発信しようというのは初めての試みだった。
ひとまず、自分たちで賄うことがある種の美徳だったこだわりを捨て、今回はより多くの人に協力を求め、より多くの人に聴いてもらうことを意識することとなった。
トラックに関しても、これまではメンバーかごく近しい人間からのものを採用していたの対し、今回はクオリティのためならば外注のビートも進んで採用するという方針だ。
今回、まとめ役として意欲を見せたガガが務めることになったが、初っ端のメンバーの招集から問題は少なくなかった。
メジャーアーティストとなり、東京で多忙な日々を送るR-指定の他、メンバーの多くは散り散りになって各々のスタンスで活動および生活を送っている。
これをどうやってまとめるか困難が予想された。
ガガが一人一人に連絡を取ってくれたものの思うようにはいかない
立ち上げから2週間ほどしたある時、段取りのミスが起こり、重要なミーティングにもかかわらず、参加者に内容の伝達がなされてない事が発生した。
その他にもいくつかの不手際が重なっていたため当日は不満が紛糾されることが予想された。
心配なので当日、ガガに一本電話を入れ状況を確認した上で、継続の意思を問うと「大丈夫です!」と力強く返ってきた。
「さすがガガ打たれ強いな」と安心し、その日のミーティングへ向かう。
歩道橋でふぁんく、KZと合流して先に打ち合わせをしていると、ガガが現れる。
事情の説明の後、苛立ちを隠せない二人から「やっぱりまとめんのちょっと無理なんちゃう?」と聞かれ、ガガが真っ直ぐこちらを見て言い返した。
「僕もそう思います」
全員がずっこけた。
俺は俺で「さっきの電話、何やってん」と苦笑いした。
立ち上がりから2週間、早くもアルバム制作は暗礁に乗り上げる。
これはガガの問題もあるが、多くのメンバーのスケジュールを調整しプランを練り上げプロジェクトを進めて行くのは並大抵のことではなかった。
当初から「計画がポシャったら車売るくらいの覚悟でやってな」という念押しがあったため「車を売ってトラックを買う」ってリリックかけるやんとキツイいじりが入る。
結局、やはり舵をとれるのはKZしかいないという結論となり、ここから本格的に制作が始まっていく。
KZからは「やるからにはちゃんとしたものを作りたい。だから付き合いが長い人間でも、積極的に参加できない人は遠慮してもらいたい」と要望を述べた。
ある程度の曲のテーマが決まった段階で、前々から面識のあったコーサク氏のスタジオでレコーディングを行うこととなった。
最初に作り始めたのは「決意」「ゼンボーレノン」「明日がある」「New Basic」の4曲。
特に「決意」と「ゼンボーレノン」は今回のアルバムのコンセプトを色濃く反映した楽曲で、制作は順調に進んだ。
「決意」は前編にあったような状況から抜け出るため、外へ踏み出す心境を歌ったものだし、「ゼンボーレノン」もこれまで輪の内側を耕すことを良しとしていた自分たちが、外へ打って出て「全ていただく」ことをテーマとした曲で、どちらもフック、バース、構成ともに早い段階で完成を見た。
対照的に他の曲はなかなか落とし所が見つからず、「明日がある」はhookが決まらず、「New Basic」に関してはテーマの広さからか、各々が自由にイメージを膨らませすぎた結果、混沌とした世界観を展開され仕上がりにはもう少しの時間を要した。
まだまだ先は長い。
しかしながら、参加者たちの顔には新たな音源を共に作り上げる喜びが見え、ゆっくりではあるが再び歩みを始めたのであった。
4章「逆転のオセロ」
8月10日。深夜の高速道路を、帰省ラッシュに逆行するように東京へ向かう車。
窓の外をオレンジの街路灯の残像が流れていく。
車内にはふぁんく、KZ、鉄兵、俺。
行先はお台場、ダイバーシティ 。
MC正社員からのブッキングで戦極18章のライブとバトルに向かうところだった。
MCばかりが乗り合わせているのにもかかわらず、音楽の類はほとんど流れなかった。
盆休みの最初ということもあり連休の過ごし方や、クルー対決となった先日のUMBでの話、仕事の近況など、リラックスした空気の中、会話が弾む。
BADHOPのBARKのモノマネがヘビロテされる中、やがて車は名古屋に到着し、ガガと合流。
この時のガガは、全員が心配になるほど疲れきっていた。
いつものイジリや、振りをしても何のリアクションも無い。
持ち前の天真爛漫さや、脳天気ぶりはなく、明らかに仕事の激務が彼の人間性を失わせていた。
KZが「たまこうとガガ、何とか救ってやれないですかね」と呟いていたのが印象的だ。
少しずつ東京に近づくにつれ、渋滞に巻き込まれる。
余裕を持ってスケジューリングしたはずだが、到着した頃にはもう朝日が上がっていた。
毎度のことながら、遠征はあっという間だ。
仮眠、軽く朝食、打ち合わせからリハスタ。
観光を楽しむ余裕もない。
たまこう、peko、ドイケンたちと合流し、車でケツメイシの「夏の思い出」をうろ覚えで合唱しながらダイバーシティに到着。
楽屋に荷物を置き、ステージを下見。
その規模の大きさに驚く。
この客席が埋まればどれほどの熱と圧が生まれるのか想像し震えた
リハーサル終わり、たくさんの出演者と挨拶を済まし、近くのラーメン屋にドイケンと行列にならんで入る。
博多ラーメンをすすりながら、誰が優勝するかなどで盛り上がってるうちオープンの時刻が迫っていることに気づく。(ちなみに、優勝予想は俺がCIMAでドイケンはふぁんくだった。)
そして本番。UZIさんのナレーションから戦いの火蓋が切って落とされる。
現役バリバリのトップスターから、レジェンド、影の実力者、フレッシュなニューカマー、全員がゲスト級の確かな実力の持ち主ばかり。
時にMC正社員という人は時にその実績とキャラクターから「金儲け」だの「フェイク」だの「カリスマロリコン」だの揶揄されるが(最後のは俺だけか)、この男の尊敬できるのは常に全力でやりたいことを戦極にブチ込む所だ。
その瞬間瞬間で最も強く、最もフレッシュで、最も光ってるMCを起用する。
もちろん、勝算がある上でのブッキングではあるのだろうが、定期的にあの規模でこれだけのキャスティングをやり続けるオーガナイザーを俺は他に知らない。
その中に、自分たちがあの日目にしたかつての実力者たちもしっかりと含めているのが正社員氏の人情味が感じられるところでもある。
次々と、名勝負が繰り広げられ上がっていくボルテージ。
自分たちの出番が近づいていく。
正直、不安は大きかった。
他のライブ出演者を見るとAKLOさん、呂布カルマ君、SIMON JAPさん、Blue Berry Jamなどこれまた今のシーンを騒がしているMCばかり。
この数週間、何度もスタジオに入り練習を重ねたものの、本番としては約半年ぶり、しかも2000人と対峙する復帰戦となる。
やがて、時間になる。舞台袖で集まり円陣を組み、いつものふざけた掛け声で緊張を解す。俺らの前は呂布カルマ君。圧巻のステージングだった。
舞台の上に独特の残り香。
スタッフの方からワイヤレスのマイクを受け取る。
不意にさっきのバトル終わりでKZが客席にシャウトした言葉が思い出された。
「梅田サイファーでベストバウト作りにきた」
間違いない。俺らの出番だ。
行こう。
ステージが暗転し、ピンスポットの照明の中にドイケンが立ち、pekoのビートボックスの上、口火を切った。
ドイケンもまた、この数年、環境の変化に振り回されたであろうMCだ。
2ndの頃、DFBRに毎週のように通っていた彼も、就職や様々なプライベートの事情で以前ほどは活動できなくなっていた。
直前のリハでは不安を口にしていたが、マイクを握りパフォーマンスをした瞬間杞憂だったと分かる。
ドイケンからKenny Doesへ。糸目の朴訥そうな青年が信じられないくらいキレキレのフロウをかます。
分かるかなオーディエンス、これが梅田サイファーだ。
軽く挨拶と言わんばかりにそのまま「ゼンボーレノン」へ。金か、名声か、尊敬か女か、生活か。何か一つじゃない。俺たちは音楽で全ていただきにきた。
徐々に自分たちの空気を作りながら場の熱を上げていく。
続いて「一網打尽 Remix」。
イントロからオーディエンスが沸き立つ。
鉄兵のグルービーなフロウと、ガガのイルさ、たまこぅのリリカルなバースが展開され、1バースだけで十分な存在感を示す。
この曲には何度も助けられた。
どのイベントでも鉄板で盛り上がる。
同じタイミングで少しの悔しさを感じていた。
やはりリミックスはリミックスで、自分たちが一から作り上げたものではないからだ。
先輩達の大きさを実感しつつ、今回のアルバムは負けない曲を作りたい。
フックでの盛り上がりを見ながらそう思った。
そして、最後の曲。
KZがステージの最前列へ進む。
限りなく客席と近い位置に立つ。
アルバムを作っていること、そしてそのアルバムで、自分たちの状況、シーンごとひっくり返すと宣言する。
先程までの盛り上がりに比べると控えめな反応。
別に構わなかった。
この無関心をひっくり返すものを作る、いや作ってる自負があった。
その意思を込めてラストの「決意」へ。
歌いきる。
袖に戻った全員の顔に笑顔が浮かぶ。やり切ったんじゃないか。
もちろん、感想は様々だろう。
ましてや2000人もいるのだ。
ライブの成果とは一概に盛り上がりだけでは測れない。
手が上がっていれれば、声が上がれば、もうそんな次元では戦ってはいないのだ。
ただ、それでも少なくない数のオーディエンスに届くステージができた手ごたえはあった。
控え室に戻りながら、多くのMCと拳を合わせたの覚えている。
バトルはこの日尻上がりに調子を上げていったMC漢氏が優勝。
決勝の呂布カルマ戦を舞台袖から見ていて、戦い続ける先輩の大きさにやられた。
B BOY PARKで優勝した時からのファンだった俺には、とんでもなくドラマティックな幕切れだったのだ。
帰りの車、イベントを回想し、今回の遠征で得たものは小さくないぞと噛み締めた。
行きとは別人のように活力に満ちたガガを見て、音楽の偉大さを再度、実感したのだった。
5章「あの日の夜を追い越して」
戦極が終わり、ここから制作は後半戦に入っいく。
Jazadocument氏のトラックを使用した「風向き」のレコーディングが快調に進む。
盆休みに来ていたタウさんが、相変わらずのキレキレのラップで暴れまくる「Runnin'」など次々と曲が出来ていく。
散らかりまくっていた「New Basic」もこの混沌さを逆に活かすという方向で、複数のhookを採用しつつ2分割することで楽曲としてまとまった。
またコッペパンによる「OSAKA ANZEN UNTEN」。
BAD HOPの「Kawasaki Drift」からインスピレーションを受けた本作だが、きっかけはRとテークの駄話からだと言う。
日常の何気ない会話や悪ノリが、リリックに昇華されるのは実に自分たちらしいなと思った。
グループ LINEに取り終えたラフミックスの音源が上がるたびに心が色めきだつ。
作品が徐々に輪郭を表す。
ミックスを終えるごとに少しずつそのディティールが鮮明に浮かび始めた。
曲の数だけそれに付随したストーリーがあった。正直、全曲に思い入れがある。
「決意」は前編で語ったような何ともいいがたい閉塞感を打ち破るために生まれたが、
一方で「マジでハイ」はそれを打ち破るようなカタルシスに満ちた曲だ。
いつかこういう曲を作りたいと思っており、プロジェクト当初からこの曲の構想はあった。
LIBRO氏に送られていた、いくつかのサンプルトラックの中で一際輝いて聴こえ
各々のリリックが仕上がり送られてきた時点で、ゾクゾクするような期待感に襲われたのを覚えている。
ただ今回、曲に付随した思い出として色濃いのは「エピソード」という曲である。
ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、このアルバムの制作中、元コッペパンのメンバーでもあったペッペBOMBが亡くなった。
早すぎる死。
KZから電話で悲報を受けた時に、頭が真っ白になった。
大概のことは笑い飛ばせる性分の我々だが、この時ばかりは、ただただ打ちのめされた。
通夜にはほとんどの梅田サイファーにまつわる関係者たちが集まった。
こんなタイミングで揃いたくはなかったのが正直な感想だ。
帰りの電車の蒸し暑さと対象的に心は寒々しくぽっかりと穴があいたような感覚。
いつまでも一緒にいられる。
離れていても、いつかまた会える日が来る。
そんなことばかりではないのだなと歯噛みする。
同じような日々の繰り返しに見えても、いつだってその瞬間瞬間は二度とこない。
やれることはやれる間に。
ペッペの分も今回のアルバムは作り切らねばと思ったタイミングだった。
夏の終わりに近く頃、ペッペの追悼曲を作ろうという話が持ち上がった。
セールスや目玉にしようと言うような下衆な考えではない。
何かの形で、ペッペへの葬いを果たしたい、それだけだった。
ただ、この追悼曲を作りアルバムに加えることを躊躇する事情があった。
テークエムのことである。
諸々の事情で今回はテークはアルバムへの不参加が決定していた。
一番と言ってもいいペッペの古い友人だったテークが参加できないまま、曲を作っていいのか。
俺は最後まで首を縦に振れなかった。
何度も議論が重ねられた。
自身が主催していたオーバーザトップというMCバトルでKZと珍しくふざけずピースでもない戦いをして意見をぶつけたこともあった。
KZは揺るがなかった。
仲間と一緒にいられなくても、犠牲を払ってでも前に進む。
それが結論だった。
それはかつて輪の中やDFBRというあまりにも暖かい空間に留まりすぎて、歩みを止めてしまった過去から学んだ教訓だった。
出来上がった曲を聴くと、色々な思いが交錯する。全員がペッペへの哀悼の意をこめた渾身のバースだが、特にparsecとして後期クルーを組んていたコーラのバースは、この数年の彼の成長を感じさせるもので深く胸を打つ。
自分たちの決断が正しかったことなのか。
それはこれから決まるんだと思う。
アルバムのほとんどの曲が出来上がった時点でタイトルの話が持ち上がり、Kennyからそういえば過去、アルバムのタイトル曲ってまだ作ったことないなと言う話題になった。
すでにコーサク君のビートでKennyがソロを作ることは決定していたので、それをタイトル曲にすることとなった。タイトルは「Never Get Old」。
不朽の名作を作りたいと言う意気込みと、10年以上も活動を続けてきたサイファーがこれまでも朽ちずやり続けるという思いが表されたタイトルだった。
この曲が出来上がった時に最後のピースがはまった気がした。
全曲を何度も並び替えて仕上げていく。見事な構成力を持つpekoの助言で、アルバムの曲順が決まり、通して聴いてみた時に確信した。
「最高傑作できた」
6章「Represent Umeda NO.1 player」
年が明け、2019 1/5。
アルバムを完成させた俺たちは、心斎橋のサンホールにいた。
「Hall Earth Drive」
古くからの知り合いであるオーガナイザーであるしゅがぁのイベントである。
このイベントのブッキングは実はアルバムの制作に入る前より受けており、BASIさんやglitsmotel、タイマンチーズなど錚々たるメンツからも彼のこのイベントにかける並々ならぬ思いが見てとれた。
彼の熱意に応える意味でも、現状のベストメンバーで一番高いクオリティでライブする、前年の春先からずっとこの日を梅田サイファー アルバム曲解禁の日と見据えて過ごしてきた。
そして、その時が来た。
戦極の時と違い、不安はなかった。
実はこの日、リハーサルから機材の問題なのでスムーズに音が出なかったり、自分も含めMCの中にも体調を壊してるものを何名かいた。
それでも不安はない。このメンツがいれば何も怖くない。そう思えた。
いつものようにふざけた円陣からステージへ向かっていく。
1曲目から「マジでハイ」。
この時点ではPVは上がっておらず、アルバムもまだ世には出ていなかったので正真正銘初のお披露目となる。
Rのアカペラからビートが鳴り、1人目のKZのバースへ。
しかし、全員がすぐに違和感に気づく。ビートが遅いのだ。
仕切り直し。
しかし、二度目も上手くいかない。
新しくDJになってもらったSPI-K君の表情に焦りの色が見える。
「おいおい.大丈夫か」
そんな空気が客席から伝わる。
ここまでは準備運動だとRが見事なトークで場を和ませる。
この辺りは流石のステージ慣れだ。
実際、ここで空気を掴み損ね、白けたまま25分を使い果たす可能性も無くはなかった。
そして3回目のアカペラ。
もうしくじることはできなかった。
いけた。
ちゃんとしたBPMでビートが流れ出す。
幸か不幸か三度のアカペラのおかげで、フックもお客に覚えてもらえ、フロア全体が湧き上がった。
続いて「ゼンボーレノン」、そして「Kawasaki drift」を流してBADHOPに成り切るという悪ノリから「OSAKA ANZEN U NTEN」へと繋がっていく。
実際この日、一番オーディエンスをロックしたのはこの曲だったと思う。
シーンの内外に「梅田サイファー」いう名前がこれだけ広まったことは、RとKOPERUの華とスター性と発信力抜きでは語れないだろう。そして、どれだけ有名になろうとも変わらない接し方に彼らの人間性が垣間見える。
抜群のコンビネーションを見ながら、数年前同じサンホールであった超ライブでのドッキリを思い出す。
内容としては水面下では決定していた活動休止を当日、舞台上で観客とともにドイケンに知らせるというものだった。
あの時のドイケンの呆然とした顔が思い出される。
あのドッキリの裏には、コペルとRからの「コッペパンから離れ、自分で何かをやり初めて大きくなって欲しい」というある種の親心があった。
実際その後、「KZ and doiken」を組み始め、ソロや様々なfeatを経てドイケンは梅田サイファー 指折りのプレイヤーとなり、R、コペルに全く引けを取らない堂々としたステージングをみせている。
実に感慨深かった。
「風向き」でガラリと空気を変え、最後の曲「決意」へ。
客席の多くが拳をかかげている。
数ヶ月前の公園でのやり取りが思い出される。
「また梅田でアルバムが作れるか」
作れた。
各々がやれることをした。
生活にくたびれサイファー や現場から離れていた間も、頭の中に梅田の存在や音楽があった。
少なくても自分自身、ラップや梅田のことを考えない日はなかった。それでも結果的に疎遠となり色々な人に失望させたことを恥じた。
もう二度と「クソッタレ梅田」と思わせてはいけない。バースの途中嬉しそうに中指を立てるKZを見てそう思った。
拍手に包まれて舞台袖へ引っ込む。このイベントを一つの指針として走って来て良かった。そう思えるライブだった。
ちょうど自分たちの次の出番が神門さんで、これまた素晴らしいライブだった。
11月の華金でのエールという曲のこんな一節に食らわされたのを思い出す。
「あらゆる世界でくすぶっている人たちよ。
いいものを作ろう」
イベントが終わり「Bar IPPUKU」にてリスニングパーティーを行った。
多くの友人や後輩たちと出来上がった作品を聴きながら、改めて自分の中で梅田サイファーがどれだけ大きい存在か実感する。
楽しげに話す姿を見て、ふと思い出す。
何故、家族仕事と音楽を切り離してきた俺が自分の結婚式に、梅田のみんなを招待したか。
この人たちを仲間と呼べないなら、もうこの先、自分が他人と友好を結ぶことなんて許されないと思ったからだ。
かくして、梅田サイファー 3rd ALBUM「Never Get Old 」は完成した。この作品を作る過程でみんな活気を取り戻していった。
MCがリリックを生み出すと同時に、リリックがまたMCを生かすこともあるのだ。
だが、これで、めでたしめでたしじゃない。むしろ、ここからだ。
外を向いてこの先に歩を進める。
さぁ、未来を青く塗り替えろ。